浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

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2月29日は聖光上人のご命日です🙏

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南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)


今年は閏年、4年に一度、
2月29日がある年ですね


2月29日は
法然上人から浄土宗の第二祖を継がれた
聖光(しょうこう)上人のご命日です🙏

浄土宗第二祖 聖光上人


聖光上人は、暦仁元(1238)年
2月29日、77歳でこの世の命を終え
極楽浄土に往生を遂げられました



聖光上人がお生まれになったのは、
現在の北九州市 八幡西区吉祥寺町です。


聖光上人がお生まれになった跡には
「吉祥寺(きちじょうじ)」
というお寺が建てられていて、
藤のお寺としても有名です。

www.google.com


聖光上人が法然上人と
運命の出会いを果たしたのは
聖光上人36才の時のことでした


聖光上人は、かつてご自身が修行された
明星寺の五重の塔の再建にあたり

寄進を募る責任者である
勧進職」に抜擢されます


五重塔の再建にめどが立ち
塔の中に安置するご本尊さまを求めて、

聖光上人は京の都に上り、
当時第一の仏師、康慶さまを訪れ、


お仏像が出来上がるまで
康慶様の工房のはなれで
お待ちすることになりました。


ある時、聖光上人のもとに
法然上人の説かれるお念仏の教えが
 都で大変、評判になっている」
といううわさが伝わってきました。


聖光上人は、心の内では
「たとえ法然上人といえども
 私が承知している以上のことは
 ご存じないだろう」

と思いながらも、
ある日、法然上人を訪れます。


法然上人は、聖光上人に会うなり
「あなたはどんな修行をしていますか?」
とお尋ねになりました。


聖光上人は
「五重の塔を建立する為の勧進をして
 常には念仏をしております」
と答えました。


聖光上人の風貌とお言葉から
法然上人は、聖光上人の学問の深さと、

同時に

「私以上のことは承知していないだろう」
という思い上がりの心を、
瞬時に見抜かれたのでしょう


法然上人は続けて、
「一口に念仏と言っても
 それぞれの宗によって
 受け取りが異なるが、

 あなたが行じているのは
 どちらの宗派の念仏か?」

と重ねて問いました。


この法然上人の問いを受けて
聖光上人は、答えに詰まってしまいました



それまでご自身が学んできた
天台宗の念仏」しか知らなかった、
ということに、改めて気付かされたのです。


自らの高慢の心に気付かされ、
答えに詰まった聖光上人に対し
法然上人は、


午後の二時から夜中の十二時迄
お念仏の教えについて
懇々と語り続けました。


各宗派、それぞれの
念仏の教えについて
広く、そして深く、
語り尽くす法然上人に


聖光上人は心から心酔されました。


聖光上人は、後に
その時の法然上人のお姿を
「まるで崑崙の頂を仰ぎ見るように学徳は高く
 高い山の上から谷底を覗くごとく智慧は深かった」

と述懐しています。


その日を境に、
お仏像ができるまでの3ヶ月間
毎日法然上人のもとに通い
法然上人がお説きになっている
お念仏の教えを受けました。

その後、一旦、九州に帰り、
完成したお仏像を五重塔に収めた後、


再び、法然上人を訪れます。

そして、43歳までの間
浄土宗のお念仏の教えを
余すところなく授けられ
浄土宗第二祖となられました


後に聖光上人は
法然上人をもって大師釈尊と仰ぎたてまつる」
法然上人は、私にとってお釈迦と仰ぐお方です)

とご書物に記しています。


今、私たちが
お念仏の教えに会うことができるのも
聖光上人はじめ、多くのお祖師さまが、
教えを誤りなくお伝え下さったからに
他なりません。


そのご恩に報いるためにも
お念仏のみ教えを、一人でも多くの方に
誤りなくお伝えするように
精進させていただきたいと思います。


それでは今日はこのへんで、


明日が皆さんにとって
よき一日となりますように……


(^^)/~~~


合掌


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