浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

ある日のお釈迦様⑩

南無阿弥陀

皆さんこんにちは。

今日の鋸南町勝山は
朝から雨☔️☔️☔️

午前中ずっと降り続け

午後はやみましたが

一日を通して
スッキリしない、
グズついたお天気で

しかも冬に逆戻りの
とても肌寒い一日でした
😞😞😞
(-_-メ)

このところ
はっきりしないお天気の日が
続いてます~(-_-メ)

スッキリ青空が
待ち遠しいですネ!!

さて今日は、
ある日のお釈迦様
その⑩をお届けします~🙏




今日は『法句経』という
お経の中に説かれる
お釈迦さまのお言葉を
ご紹介したいと思います。


~~~~~~~~~~~~


「たとえ生命(いのち)の限り
 師にかしずくとも
 心なきひとは
 正法(まこと)を知らざるべし

 げに

 匙(さじ)は
 器(うつわ)につけども
 羹味(あじ)を知ることなきがごとし」

 *羹=肉や野菜を入れた熱い吸い物・スープ

(たとえ一生涯師匠に仕えて、教えを学んだとしても
 心ない人はまことの教えを受け取ることができない
 それは、匙がスープの入った器に浸っていても、
 スープを味わうことができないのと同じである)

「たとえ瞬時(またたき)の間(ま)
 師にかしずくとも

 心ある人は
 たちまちにして
 正法(まこと)を知らん

 げに 舌こそ
 
 羹味(あじ)を知るが如し」

(たとえ一瞬の間師匠に仕えて教えを学んだとしても
 心ある人はまことの教えを受け取ることができる 
 それは、舌がスープを味わえるのと同じである)

出典:『法句経』友松圓諦(講談社学術文庫

~~~~~~~~~~~~




このお釈迦さまのお言葉の中の
「心なき人」とは、

「思い上がりの心」が
強い人のことです。


「師匠に教わらずとも
 自分は分かっている」

という思いでいたら、

一生、師匠と接していても
得るものは少ないでしょう。


逆に、
「心ある人」とは、

自分を「からっぽ」にして
師匠の教えを受ける人です。


自分の先入観を捨てて、
「師匠から学ばせていただこう」
という思いで、

真剣に教えを受けたら、

たとえ接する時間が
ほんのわずかな時間でも

多くのことを
学ぶことができるでしょう。


お釈迦さまは

教えを学ぶ上での心得を
「匙」と「舌」を喩えに用いて、
明快にお説き下さっているのです。



このお釈迦さまのお言葉は、
私の布教の恩師が、

折に触れて、お話下さっていた
お言葉でもあります。


恩師が亡くなったのは
平成10年4月8日、

桜の花が満開の中、
極楽浄土に
往生の素懐を遂げました。


恩師の命日を迎えた4月、


改めて、ご生前のご恩に
感謝申し上げる思いで、

ご縁のある皆さまに
ご紹介させていただきました。


共々に
「匙」になることなく
「舌」になって
お釈迦さまの尊いみ教えを、
存分に味わわせていただきましょう!!


それでは今日はこのへんで

明日が皆さんにとって
良き一日となりますように……

(^^)/~~~

合掌


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