南無阿弥陀佛
みなさんこんにちは(^O^)
今日の鋸南町勝山は、
朝から快晴~‼️
予報では
曇りということでしたが
早朝は、
少々肌寒く感じたものの
スッキリ五月晴れの
清々しい1日になりました😃
さて今日は、
「ある日のお釈迦さま」その⑪
をお届けします~🙏
今日のお話は
「まさにその中をとるべし」
というおはなしです。
それでは、はじまりはじまり~
~~~~~~~~~~~~
近くの寂しい森の中で
「ソーナ」という人が
修行を続けていました。
ソーナの修行は
とても激しいものでしたが、
なかなか覚りに境地の
至ることができず、
心の中に迷いが生じていました。
「私はこんなに激しい修行をしている
お釈迦さまの弟子の中でも
私ほど一所懸命修行している者は
他にはいないだろう。
それなのに
私は一向に覚りの境地に
いたることができないのは
どうしてだろうか?
こんなことでは
いっそ修行をやめて
家に帰った方がいいのではないか
私の家には財産がある
どんな幸せな生活も
営むことができる。
この修行の道をすてて
世俗の生活に戻った方が
いいのではないか」
お釈迦さまは、
ソーナの心の迷いを知って
彼のもとを訪れました。
お釈迦さま:
「そなたは出家する前
琴を弾くのが上手であったと聞いたが
まちがいないか?」
ソーナ:
「はい、いささかですが
琴をたしなんでおりました」
お釈迦さま:
「それなら、
弦をあまり強く張りすぎたら
琴はいい音が出ないのを
知っているであろう」
ソーナ:
「さようでございます」
お釈迦さま:
「かといって、弦の張り方が
あまりに弱すぎても
やはりよい音は出ないだろう」
ソーナ:
「そのとおりでございます」
お釈迦さま:
「ではどうすれば、
いい音を出すことができるか?」
ソーナ:
「それは、強すぎず弱すぎず
調子にかなうように整えれば
よい音を出すことができます」
お釈迦さま:
「ソーナよ、
修行もそれと同じと心得なさい。
刻苦に過ぎては、
心が高ぶり静まることがない。
弛緩に過ぎれば
又、懈怠(なまけ)に
おもむくであろう
ソーナよ、
ここでも又、汝はその中(=中間)を
取らなければならない」
それよりソーナは、この
「弾琴の譬え」を
じっくりと胸にいだいて、
再び修行に励み
遂に覚りの境地に
いたることができた、
ということです
~~~~~~~~~~~~
如何でしょうか?
懸命に修行に励むことは
もちろん大事なことですが、
ソーナは
「自分は人より優れている」
「自分ほど修行に打込んでいる者はない」
という
「驕慢心(=高ぶりの心)」
を発してしまい、
「覚り」という目標を
見失ってしまったんですね。
お釈迦さまが
ソーナに示された
「弾琴の譬え」は
「強すぎず、弱すぎず」
という「中道」の教えを
表しいています。
同時に、
「目標を見失わないように」
ということも
教えてくれているように
私には思えます。
一所懸命励んでも、
「人より頑張っている」
ということにとらわれて
目指すところを見失っては
本末転倒ですね😥
時には、立ち止まって、
「私は何の為に生きているのか?」
自らに問いかけてみることも
大事なことかもしれませんね😃
それでは今日はこのへんで
明日が皆さんにとって
良き一日となりますように……
(^^)/~~~
合掌
辛かったこと、悲しかったこと、今悩んでいること、うれしかったこと……
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