浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

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法然上人とゆかりの人々⑭

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南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)


今日の鋸南町勝山は


おおむね晴れ🌞🌞🌞


雲が多かったものの
穏やかに晴れて
とても暖かい一日でしたが、

昨日から吹き続いている風が
今日もやまず、
少々荒れ模様の一日でした💦💦💦



さて、今日は久しぶりに😅


法然上人とゆかりの人々」
その⑭をお届けします🙏




今日ご登場いただくのは
後白河法皇」です


後白河法皇は、
久寿2(1155)年に天皇に即位しましたが
わずか3年で皇位を息子である二条天皇に譲り

その後30年以上にわたり院政を行ったお方です。


仏教を大変篤く敬い、
特に、法然上人に深く帰依された、
と伝えられています


文治4(1188)年、
法然上人56才)


厳格に定められた作法で
法華経を書写する
「如法経」を行った際、


延暦寺園城寺
名だたるお坊さまが席を連ねる中、

法然上人は、法皇の勅喚により、
「先達(導師)」を勤められました。


法然上人は、
一度は固辞しましたが、
勅命を断り切れず、
大役をお勤めになりました。


又、法然上人は後白河法皇様に
「円頓戒」という戒律を
お授けになっています。


更に、法皇様が延暦寺園城寺の僧を招き
順々に『往生要集』を講じさせ、
考えを述べさせた中に、

法然上人も披講されて
「往生極楽の教行は
 濁世末代の目足なり
 道俗貴賤、
 誰か帰せざらむもの」

(往生極楽の為の教えと修行は
 濁世の目足となる大事なものである、
 どんな立場の者も帰依しない者はない)

と読み上げられたところ、

法皇は大変感動され
涙を流したと伝えられています。


そして、法皇法然上人に帰依するあまり

当時第一の絵師であった、
右京太夫隆信朝臣
法然上人の肖像を描かせ
蓮華王院に納められました。

このようなことは
前例のないことでした。


この肖像画
現在知恩院に所蔵され
「往生要集披講の御影」
と呼ばれています。



法皇崩御される時も、法然上人は
臨終の善智識(看取りの僧侶)
として請せられました。


かねてより法然上人から
念仏の教えを受けていた法皇

改めて法然上人のお諭しを受け
いよいよ信心を深められ、
最期まで怠らず「ナムアミダブツ……」と
称えながらお過ごしになりました


そして遂に、
建久3(1192)年3月13日寅の刻

端座合掌し、
静かにお念仏を称えながら
眠るが如く、
静かに往生を遂げられた、
ということです。


法然上人は、
当時、比叡山などの大寺に
籍を置いていたわけではなく、

「無位無官」であったにもかかわらず
法皇様から深く帰依をうけた、
ということから、


法然上人が如何に
すばらしいお方であったかが
伺われます🙏



それでは今日はこのへんで、


明日が皆さんにとって
よき一日となりますように……


(^^)/~~~


合掌


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