浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

法然上人 往生までのお姿⑤

南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)

今日の鋸南町勝山は、
朝のお勤めを始めた時は
雨が降っていましたが、

お勤めを終えるころにはあがって
その後、スッキリと晴れました🌞🌞🌞

多少、北風が冷たく感じましたが
「寒い~😨」って程でもなく
気持ちいい冬晴れの一日でした。

土・日曜日と、
雨が降り続けとても寒かったので
今日のお日さまと青空は
殊の外有難く感じました😄

さて今日は、
法然上人 往生までのお姿
その⑤です🙏

いよいよ法然上人が往生される前日
1月24日から、
往生ご当日の25日の様子

お届けします。

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浄土宗 元祖 法然上人

その前に、
昨日、浄蓮寺では法然上人のご命日の法要
「御忌会(ぎょきえ)」を厳修しました。

例年ならば、檀家の皆さんが集まって
午前中に法要を勤め、
午後はお楽しみ会
(ちなみに去年は
 カラオケ大会でした)と
空くじなしの福引大会で、
大いに盛り上がるんですが……、

今年は「緊急事態宣言」発令中の為、
役員3人だけの参拝で、
ひっそりと法要のみ勤めました。

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左・法然上人 右・善導大師 です
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御忌会厳修の様子


残念ですが、
この状況ではやむをえない選択だったと思います😥

そして今日は、
私が住職を務める別のお寺(お堂)で
法然上人御忌の念仏会を勤めました。

毎年のことながら、
法然上人のご命日を迎えるこの時期は
自然と普段以上に法然上人への
帰依讃仰の思いも高まります🙏

さて、話を戻して……

~~~~~~~~~~~~~~

1月23日に「一枚起請文」をしたためてからも、
法然上人は1時間、2時間という長い時間
ハッキリとした声で
「ナムアミダブツ……」と
お称えになりました。
(「一枚起請文」についてはこちら)
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gunjima-taii.hatenablog.com


翌24日の正午ごろ
再び紫の雲がたなびきました。
(1月20日に紫雲がたなびい時のことはこちら)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

gunjima-taii.hatenablog.com


西山で炭焼きをする人や
広隆寺を参拝した尼が、
紫の雲を見て、
法然上人の庵に
そのことを告げに来ました。

見聞きした人たちは、
皆、「尊いことだ」と喜び合いました。

その後、法然上人は
夕方6時頃から
翌25日の午前10時頃まで、
大きな声で1時間、或いは2時間、
「ナムアミダブツ……」と
称え続けました。

その間、弟子も交代で
一緒にお念仏を称えましたが、
弟子たちのお念仏の声が
衰えることはあっても

法然上人の
「ナムアミダブツ」の声は、
遂に衰えることはありませんでした。

あつまった人々は
生き生きとお念仏を称える
法然上人の姿の尊さに、
皆、感激の涙を流しました。

しかし、
午前11時頃から、
法然上人のお念仏の声は
次第に小さくなり、
時折、大きな声のお念仏もまじりました。

そして正午を迎え、
いよいよ臨終に臨んで
慈覚大師相伝の九條袈裟をかけ、

お釈迦さまの御入滅の時と同じように
頭を北に、面を西に向け、
「光明遍照 十方世界
 念仏衆生 摂取不捨」

(光明は遍く十方世界を照らし
 念仏称える者を救い取り
 捨てることはない)

と称えて、眠るが如く息絶えられたのでした。

息が絶えて後も、
法然上人はお口を
「ナムアミダブツ……」
と十辺ほど動かされました。

お顔の色も鮮やかに
まるで微笑むがごとき表情でした。

御年はお釈迦さまと同じ80歳。
人びとは上人との別れを傷み悲しむこと
父母を失うごときでありました。

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法然上人は、
生涯説き続けた自らの教えの通り
ご自身が、最後息絶えるまで
「ナムアミダブツ……」と称え続け、
息絶えた後までも、
お口を「ナムアミダブツ……」と
動かされたのです。

法然上人には足元にも及びませんが、
私も、この法然上人の最期のお姿を仰ぎ、

阿弥陀様のお救いを信じ
この生涯を限りとして
極楽へ往生を遂げることを願って
益々怠りなくお念仏に励むと同時に、

法然上人の御教えを
一人でも多くの方に
お伝えできるように
精進してまいります🙏

それでは今日はこのへんで、
明日が皆さんにとって良き一日となりますように
(^^)/~~~

合掌