浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

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法然上人とゆかりの人々⑰

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南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)


今日の鋸南町勝山は

朝から快晴~🌞🌞🌞


気温もぐんぐん上がって
梅雨を一気に通り越して
夏を思わせるような、
暑さの厳しい一日でした💦💦💦


さて、弟が住職を務める
常行院での五重相伝会以来、
何かとバタついて、

ブログの更新とコメントの返信、


そして


皆さんのブログへの訪問が
思うようにできない日が続き、

申し訳ございませんでしたm(__)m


ようやく一区切りつきました😅😅😅


改めてどうぞ宜しくお願いします(*^^*)



さて今日は、
法然上人とゆかりの人々」
その⑰をお届けします🙏

浄土宗 元祖 法然上人


今日ご登場いただくのは
「俊乗房重源
(しゅんじょうぼうちょうげん)様」

です。

俊乗房重源さま(ネットより借用しました)


治承4(1180)年12月
平重衡によって東大寺は焼かれ
大仏様も首が焼け落ちてしまいました。

詳細はこちら

gunjima-taii.hatenablog.com


法然上人のお伝記である
『四十八巻伝』によると


焼失した東大寺を再建する為
勧進職(寄進集めの総責任者)
として白羽の矢が立てられたのが
法然上人でした。


しかし法然上人は、
「私が比叡山を下り
 交わりを断っているのは
 静かに仏の道を行じ、
 ひたすら念仏申す為です

 勧進職に就けば、
 世事に煩わされ

 本意を遂げられなくなることは
 目に見えています」

と、これを固く固辞されました。


そして法然上人が、
ご自身の代わりに推薦したのが
「俊乗房重源」さまでした。


重源さまは、もとより
「支度第一俊乗房」
称されるほどのお方です。

その才能を発揮されて
工事は見る見るうちに
進みました。


建久2(1191)年の頃


重源さまの計らいによって

多くの人々が、
後の世の救いを得られるように
7日間の大念仏
の法要を勤めました。


ところが、その頃はお念仏の教えを
知らない人も多く、参加する人は
ごくわずかでした😢


董源さまはこれを悲しみ、
多くの人々に阿弥陀さまのみ心を
伝えるために、


未だ半作の大仏殿の軒先に
法然上人をお招きして
浄土三部経
(『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』)
の講説が行われました。


そこには、三論宗法相宗
学者たちが多く集まり、

自分の宗旨のことについて
法然上人に質問をして、

もし誤りがあれば
辱めを与えようと
待ち構えていました。


しかし法然上人は、

先ず、三論宗法相宗
奥深い教義を説き、

続けて阿弥陀さまの
大慈悲のみ心を説き明かし、


末法の時代を生きる者が
 迷い苦しみの尽きない
 六道輪廻を離れる為には、

 阿弥陀さまのお救いにすがり
 ナムアミダブツと
 称えるほかにない」

と説き、その場に居合わせた
200人に及ぶ坊さんたちは、

皆、納得をした、ということです。


中でも、東大寺の最長老であった
観明房理真さまは、

「80歳まで生きながらえてきたのは
 まったく、このお念仏の教えを
 聞きたいためであった」

と、涙にむせび喜ばれたとのことです。


こうして
法然上人の名声は更に広まり、
お念仏の声も高まっていったのでした。



それでは今日はこのへんで


明日が皆さんにとって
よき一日となりますように……

(^^)/~~~


合掌


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