南無阿弥陀佛
みなさんこんにちは(^O^)
今日の鋸南町勝山は
早朝、日の出前に
雨がぱらつきましたが
夜が明けてからは
雨も上がっていいお天気に🌞🌞🌞
昨日は終日、
強風が吹いていましたが
今日は風もおさまり、
穏やかな五月晴れの
一日となりました(*^^*)
GW、後半はお天気が
崩れるみたいですね😱😱😱
お天気がいい間に、
存分に連休をお楽しみください
さて、今日は
「法然上人とゆかりの人々」
その⑯をお届けします🙏
今日ご登場いただくのは
「九条兼実さま」です。
法然上人に帰依した方は
数多くいらっしゃいますが、
特に帰依が深かった方の一人が
この、兼実さまです。
九条兼実さまは
藤原道長以来の藤原一門の嫡流
藤原忠通の三男として生まれました。
38歳で摂政になり
永く政界の中枢を担う存在でした。
しかし、表向きの華やかさとは裏腹に、
兼実さまのご生涯は
嘆き悲しみの連続でした。
文治4(1188)年
長男の良通公が22歳の若さで
急逝してしまいます。
その時の兼実さまの嘆き悲しみは
殊の外深く、日記には
「惜しみてもなお惜しむべく
悲しみてもなお悲しむべし
言語の及ぶところに非ず
筆端の記すべきに非ず」
と記しています。
その後、建永元(1206)年には
次男・良経公にも三十八歳で
先立たれてしまいます。
又、権力者特有の
孤独感もあったことでしょう。
そして遂に、政治的な対立から
関白の地位を追われてしまいます。
次々と押し寄せる
嘆き悲しみに打ちひしがれた
兼実さまにとっての
唯一の「心の支え」になって下さった、
そのお方こそが、法然上人でした。
兼実さまは、
度々法然上人をお屋敷に招き、
お念仏の教えを
お受けになっていました。
法然上人がおみえになった時に
御老齢のお身体で、
さぞ、お疲れであろうと
ご休憩されるお部屋を
増築までなさっておられます。
時には、
はだしのまま地面に降りて
法然上人をお迎えになったことも
あったと伝えられています。
又、ある時、いつものように
法然上人をお招きし、
教えを受けた時のこと。
お帰りになる法然上人を
お見送りしていた兼実さまは、
急に庭に飛び降りて、
地面に額をつけて
法然上人を拝まれました。
やがて頭をあげた兼実さまは、
涙にむせびながら
側に仕えていた方に尋ねました。
「今、法然上人が地面を離れ
空中に現れた蓮の華を踏み、
お頭の後ろには
円い大きな光が輝いていた。
そなたたちも見たか?」
問われた方は
「いえ、何も見えませんでした」
と答えたとのことです。
法然上人は、お頭の上に
大きな光が輝いたまま、
庭の池の橋を渡られたので、
その橋は
「頭光の橋」と呼ばれました。
もとより、法然上人に
深く帰依していた兼実さまでしたが、
このことがあって以来、
法然上人を仏さまの如く
尊ばれた、ということです。
兼実さまは、これからも何度か
ご登場いただくことになると思いますが、
今回はここまで(*^^*)
それでは今日はこのへんで
明日が皆さんにとって
よき一日となりますように……
(^^)/~~~
合掌
辛かったこと、悲しかったこと、今悩んでいること、うれしかったこと……
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