南無阿弥陀佛
みなさんこんにちは(^O^)
今日の鋸南町勝山は,
午前中11時頃までは
どんより曇り空☁☁☁
今にも雨が降り出しそうな
空模様でしたが、
その後降り始め☔☔☔
かなり強く降った時間帯もあり、
おまけに風も強く吹くし、
肌寒いしで、
最悪の天気となりました
(+_+)
さて、今日は
「法然上人とゆかりの人々」
その⑥をお届けします~🙏

今日ご登場いただくのは
比叡山での3人目のお師匠様
慈眼坊叡空
(じげんぼうえいくう)さまです
ふるさと岡山を離れ、
比叡山に登られた勢至丸さま、
はじめ、源光さまのもとに
身を寄せますが、
源光さまは、
勢至丸さまのたぐい稀なる才覚を見極め、
皇円さまのもとで
「大乗戒」を授かり
正式に出家して、
更に学問修行に打ち込んでいた
勢至丸さまですが
18歳の時、
皇円さまのもとを辞して
黒谷別所に隠遁してしまいます
ここまでが
前回までのおさらいです
詳しくはこちらをご覧下さい
さて、
皇円さまの元を辞した勢至丸さま、
黒谷別所に住していた
「慈眼坊叡空」さま
のもとを訪れます。


叡空さまは
「円頓戒」という戒律の
正統を受け継ぐ師匠として
比叡山でも特に尊ばれる
お方でした。
勢至丸さまは叡空さまに
「幼い頃より今日に至るまで、
非業の死を遂げた父の
〈自らの覚りを求め、
先だつ父の供養をしてくれ〉
との遺言が
耳の奥底にとどまり離れません」
と、隠遁の志が深いことを告げました。
すると叡空さまは、
「年若くして、
苦しみ迷いの世界を離れることを願い
覚りに到ることを真剣に求めるとは、
そなたこそは、まことに
〈法然道理のひじりなり〉」
とたたえ、
「法然坊」と名付け
併せて、
比叡山最初の師匠
「源光さま」の「源」と、
「叡空さま」の「空」をとり
こうして、
「勢至丸」という幼名から
「法然坊源空」という
僧侶としての名を授かり、
黒谷の地に於いて、
それまで以上に
もっぱら学問ご修行に
打ち込む日々が
始まったのでした。
さて、その後、
黒谷では一体どんな生活が
待ちかまえているのでしょうか……?
それは、
文字通り「命懸け」、
苦難と絶望の連続の日々でした……。
それでは今日はこのへんで
明日が皆さんにとって
良き一日となりますように……
(^^)/~~~
合掌
辛かったこと、悲しかったこと、今悩んでいること、うれしかったこと……
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