浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

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ある日のお釈迦さま⑧

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南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)

今日の鋸南町勝山は、

朝から快晴🌞🌞🌞

気温は相変わらず低かったものの
日が当たる部屋の中にいると
ポカポカと温かい、

気持ちのいい冬の一日でした~


明日は一転、
雨か雪かの予報です
😱😱😱


ひどい降りにならないことを
願うばかりです~^_^;


さて、今日は
「ある日のお釈迦さま」
その⑧をお届けします~
👏👏👏



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今日のお話は
「喜びを食として生きる」

というお話です(*^^*)

それでは、はじまりはじまり~


~~~~~~~~~~~~


ある日、
お釈迦さまがいつものように
ある村に托鉢に出かけたときにことです。

その村では、ちょうどその日
若者たちが、
たがいに贈り物を贈り合う
お祭りの日でした。

村人たちは
皆、お祭りに夢中で
お釈迦さまに
食べ物を施す者は
誰一人おらず、

結局、お釈迦さまは
施しを得られぬまま
からっぽの鉢を
持ち帰るしかありませんでした。


その帰り道でのこと。


マーラ(悪魔)が
お釈迦さまの前に姿を現し、

「食べ物は得たか」

と問いかけてきました。


お釈迦さまが

「マーラよ、
 今日は食べ物を得られなかった」

と答えると、マーラは

「では、もう一度、
 村に引き返すがよい。

 今度は
 供養の食が得られるように
 してあげよう」

と言いました。

このマーラの「誘惑」に
お釈迦さまは毅然として
お答えになりました。


「たとい得るところなくとも、
 見よ、我らは楽しくも住む。

 例えば、彼の光音天の如く
 われらは喜びを食として生きん」

そのように、
お答えになったということです。

~~~~~~~~~~~~


「光音天」とは
無上の愛を象徴する神様のことで、

人の喜びを食として生き、
語れば、その口より清き光を放つ、

と言われています。


いかにお釈迦さまといえども、

この日のように、
托鉢に出ても
施しを得られないことも
時にはあったことでしょう。

この日も
マーラの「誘惑」に従って
村に引き返せば、
多少なりとも
施しを受けられたかもしれません。

しかしお釈迦さまは、
村に引き返すことなく、
「人の喜びを食となす」
とおおせになられたのです。


もちろん、
「人の喜び」だけでは
お腹を満たすことは
できません。


もし私が、
お釈迦さまと
同じ状況になったとしたら、

恥ずかしながら、
マーラの誘惑に負けて、
2度3度と
村に引き返していたことでしょう
💦💦💦


お釈迦さまのように、
「光音天さまの如く
 人の喜びをもって食となさん」

という境地には遠く及びませんが、

「せめて、
 人の喜びや悲しみに、
 共感するこころを
 忘れずにいたいなぁ」

と思わせてくれた、今日のお話でした。


それでは今日はこのへんで、

明日が皆さんにとって
良き一日となりますように……

(^^)/~~~

合掌

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