南無阿弥陀佛
みなさんこんにちは(^O^)
今日の鋸南町勝山は
朝からどんより曇り空
☁☁☁
時折、お日さまが
顔を出すこともありましたが
逆に雨がパラつくこともあり
何ともすっきりしない一日でした
でも、日差しが強くない分
わりと涼しく過ごせました
8月も20日を過ぎて、
厳しい暑さも、ようやく
終わりが近付いてきたことを
実感します(*^^*)
もうちょっとの期間、
お互いに体に気を付けて
猛暑をのり乗り越えて
まいりましょう~😀
さて、今日は
「ある日のお釈迦さま」
その⑭をお届けします
今日のお話は
「水に面をうつすがごとし」
というお話です。
それでは、
はじまりはじまり~
~~~~~~~~~~
ある時、お釈迦さまが
祇園精舎にいた時のこと
1人の修行者が訪ねてきて
二人で歓談した末に、
彼はお釈迦さまに
このような質問をしました
「私は、時には
たいへん澄み渡った気持ちになり
これまで学んだことはもちろん
まだな学んでいないことまで
すらすら弁じたてることができるのに
時には、何かに混迷して
日ごろ学んだことまでも
どうしても
頭に浮かばなことがあります。
これは一体どういうことでしょうか?」
この修行者の質問に
お釈迦さまは次のように答えました
「ここに器に入った水があるとしよう
もしその水が、
赤とか青とかに濁っていたら
人がそれに自分の面相(=顔)をうつしても、
ありのままに見ることができまい
それと同じように、人の心が
欲や怒りや愚かさや疑いによって
濁っていたら、
ありのままに見ることができない。
それに反して
もしその水が濁っていない時は
いつでも自分の顔をうつして
ありのままに見ることができる。
それと同じように、人の心も、
欲や怒りや愚かさや疑いによって
濁されることがなければ
何事もありのままに
正しく見ることができるのである」
とお答えになった、ということです。
~~~~~~~~~~
このお話は、お釈迦さまの教えの中の
「正見(しょうけん)」
つまり「正しく見る」
という教えを表しています。
私たちは、「煩悩」に惑わされ
「先入観」をもって様々なものを
見てしまいますが、
「煩悩」や「先入観」に
惑わされることなく
濁っていない水に映る
自分の顔を見るように、
そのものの本質を見ることが
大事だ、ということです。
私たちは、生きている限り
煩悩を断ち切ることはできませんが、
出来る限り、
よけいな先入観を差し挟むことなく
「正しく見る」ことを
心がけていきたいですね(*^^*)
それでは今日はこのへんで、
明日が皆さんにとって
良き一日となりますように……
(^^)/~~~
合掌
参照『仏教百話』(増谷文雄)
辛かったこと、悲しかったこと、今悩んでいること、うれしかったこと……
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