浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

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ある日のお釈迦さま⑰

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南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)


今日の鋸南町勝山は


朝から快晴~🌞🌞🌞

ではありましたが……、


昨夜から強風が吹き荒れ🌀🌀🌀


建設中の本堂の
屋根に貼ってあったブルーシートは
全て吹き飛ばされてしまいました
😱😱😱



今日も一日中風はおさまらず、


はがれてしまったブルーシートを
たたむことすらできず、

工事は一日、
ストップしてしまいました💦💦💦



明日は風がおさまることを
心から願うばかりです🙏






さて、今日は
「ある日のお釈迦さま」
その⑰をお届けします🙏



今日お届けするお話は
「盲亀浮木の譬え」
というお話です。


それでは、
はじまり、はじまり~



~~~~~~~~~~


ある時、お釈迦さまが
お弟子さまたちに尋ねました


「比丘(弟子)たちよ、


 たとえば、ここに一人の人がいて
 一片の木の板を海に投げ入れたとしよう


 その木の板には、一か所だけ
 穴があいていたとする


 しかるに、


 ここに又、
 一匹の目の見えない亀がいて

 
 百年に一度だけ
 海面に浮かんできて
 首を出すという。


 その亀が、
 海面に浮かんできた時に

 
 たまたまその板の穴に
 亀の首が入る、

 ということが
 はたしてあるだろうか?」


たずねられたお弟子様たちは
次のように答えました


「お釈迦さま、


 それは極めて難しいことです、

 
 仮にそのようなことがあるとしても
 一体いつになることやら、
 全く見当もつきません」


それを聞いたお釈迦さまは
このように説かれました


「比丘たちよ、その通りである、


 しかし、百年に一度だけ海面に浮かぶ
 目の見えない亀が、たった一枚の板の

 
 小さな穴に首を入れるより
 なお稀有なことがあると
 知らねばならぬ


 それは、


 〈人間としてこの世に生を受ける〉
 ということは、
 さらに稀有なことである」


とお説きになられた、
ということです。


~~~~~~~~~~



今、人として生を受け、
現に生きている私たちですが、


「人として生を受ける」

ということ自体、

決して当たり前のことではなく、


極めて「稀有なこと」と
お釈迦さまはお説き下さっています。


それ程までに
得ること難き人の身を受けたからこそ、

お釈迦さまの教えに従い、
より良い生涯を送るように
お互いに心がけたいですね(*^^*)



それでは今日はこのへんで、


明日が皆さんにとって
よき一日となりますように……


(^^)/~~~


合掌


参考『仏教百話』(増谷文雄 著)


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