浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

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法然上人とゆかりの人々⑩

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南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)

今日の鋸南町勝山は
午前中は雨が降ったりやんだり
☔☔☔

一時あがる時間帯はありましたが、
逆に強く降ることもあり、
落ち着かないお天気でした💦💦💦


午後から、雨はあがったものの、
雲が広がって陽が差すこともなく、
どんよりぐずついたお天気でした
☁☁☁


お陰で涼しく過ごせました😅



さて、
更新を2度お休みしまして💦💦💦
みなさんのコメントのお返事も
だいぶ遅れてしまいました。

改めてお詫びを申し上げますm(__)m


今日から、更新を再開します。
どうぞ宜しくお願い致します



今日は、
法然上人とゆかりの人々」
その⑩をお届けします🙏

浄土宗 元祖 法然上人


今日ご登場いただきますのは、

善導大師(ぜんどうだいし)様です

善導大師

誰もがこの身このままで
六道輪廻を離れられる教えを求め、
奈良の高僧を、次々とたずねた
法然上人でしたが、


結局、誰一人として
法然上人の求める教えを
示して下さる方はいませんでした。


絶望に打ちひしがれた法然上人は
再び比叡山の黒谷に戻り、

お釈迦さまのご説法を
直々にお聞きする思いで、

お経典や祖師方の残されたご書物を
首っ引きで学ばれました。


真冬にはマイナス20度近くまで冷え込み、
何時凍え死んでもおかしくない環境です。

又、比叡山で寒さ以上に恐ろしいのは、
「湿気」であるといわれます。
「湿気」により肺を患い、
修行半ばで命を落とす人も
数多くいたのです。

そんな、いつ命を落としても
不思議のない環境の中、


来る日も来る日も、
経典や書物を紐解き続け、


遂には、膨大かつ難解な経典や書物を、
隅から隅まで、全て学び尽くすこと、
実に5度にまで及んだのです。


その中で、
恵心僧都源信上人が書かれた『往生要集』が、
中国唐時代の善導大師さまの
『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物を
もっぱら指南としていることに気付きます。


法然上人は、導かれるように
『観経疏』を更に学ばれること3度、
前後合わせて8度、

じっくりと学ばれました。

そして遂に、その8度目、
『観経疏』のお言葉


「一心に専ら弥陀の名号を念じ、
 行住坐臥に時節の久近を問わず
 念々に捨てざる者、これを正定の業と名づく
 彼仏の願に順ずるが故に」


というお言葉により、


南無阿弥陀仏と称える者を
 ただの一人も漏らすことなく
 極楽に救う」

との、阿弥陀さまのみこころを
はっきり受け取り、


「ナムアミダブツと称えることこそが、
 長年求め続けてきた、
 誰もが、この身このまま、
 六道輪廻を離れ、

 しかも、極楽という
 最高の仏さまの世界に
 生まれ変わる唯一の教えである」

と確信されたのです。


承安5(1,175)年
法然上人43歳の春のことです。

比叡山に登ってから28年、
お父さまが夜討に遇い
非業の死を遂げてから
34年もの年月が
いつの間にか過ぎ去っていました。


こうして法然上人は、
善導大師様の『観経疏』を拠り所に
浄土宗・お念仏の教えを
ご開示下さったのです。


ちなみに、

令和6(2,024)年には
法然上人が浄土宗を開かれてから
850年の記念の年をお迎えします。


コロナ禍の影響で
なかなか気運が盛り上がりませんが
💦💦💦、


この尊いご縁に当たり、

法然上人のお徳を讃え、
お念仏の教えをお伝えすべく
精進してまいります


それでは今日はこのへんで、


明日が皆さんにとって
良き一日となりますように……


(^^)/~~~


合掌


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