浄土宗 浄蓮寺

千葉県鋸南町にある浄土宗のお寺のブログです

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法然上人 往生までのお姿①

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南無阿弥陀

みなさんこんにちは(^O^)

今日の鋸南町勝山は、
朝から暑い雲に覆われました☁☁☁

お昼ごろ、ほんのちょっとの時間
あつい雲の間からお日さまがのぞきましたが、
それも僅かな時間で、
また、お日さまが陰ってしまい、

一日を通して非常に寒い日となりました。

そういえば、
昨日が「小寒」だったんですね~
一年で一番寒い時期ですので、
この寒さも仕方がないことなのでしょうが……💦

日本海側からは、
又しても大雪のニュースが届いています。
皆さまの無事を心よりお祈り申し上げます。

さて、1月25日は浄土宗を開かれた
法然上人のご命日です🙏

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元祖 法然上人

法然上人は建暦2(1212)年1月25日、
御年80歳でこの世の命を終え極楽へ往生を遂げられました。
「イチニ、イチニ(1212)と極楽へ」と覚えました💡)

お伝記には、年が明けてから息を引き取るまでの
法然上人のご様子が伝えられています。

その中のいくつかをpick upして紹介したいと思います。
今日は、その①です。


法然上人も寄る年波には勝てず、
年が明けて正月の2日からは、食欲が益々おとろえてきました。

3・4年程前から目や耳がはっきりしないことが多くなっていましたが、
いよいよ最期の時が近付いたからでしょうか?
不思議なことに、お元気だったころと変わらぬほどに
目も耳もはっきりするようになられます。
そんな法然上人のお姿に
傍にお仕えしているお弟子達は、不思議の思いを抱きました。

そしてこの日を境に、
余計な言葉を交えず、只、阿弥陀さまのお救いのみを語り
常に「ナムアミダブツ……」と称えながらすごすようになります。
目覚めている時は勿論、
眠っている時も、法然上人のお口は
常に「ナムアミダブツ……」と動き続けていました。

そして、1月3日のことです。
お弟子の信空さまが法然上人にこんなお尋ねをします。

「これまでのお祖師様は、
 弘法大師さまには高野山伝教大師さまには比叡山
 立派なご遺跡をお残しです。
 しかし、法然さまはご生涯の間、
 そのような立派なご遺跡を一つもお残しではありません
 法然さま亡き後、私たちはどこをご遺跡としたら宜しいでしょうか?」

このお尋ねに対し、法然上人は静かにお答えになりました。

「遺跡を一つにとどめたら、
 念仏の教えは隅々まで行き届かぬ。 

 私の遺跡は、一か所にとどまらず全国、いたる所にあるのだ。

 なぜなら、私が生涯をかけて説き伝えてきたことは、

阿弥陀さまの救いを信じ、
 極楽へ救われ往くことを願って、ナムアミダブツと称えよ〉
 ということ、ただ一つであった。

 だから、ナムアミダブツの声がするところは、
 たとえどんなに粗末な小屋であろうとも、
 皆、我が遺跡なのだよ……」

  
如何でしょうか?

法然上人は、立派な建物が遺跡ではなく、
法然上人の教えのままに、
「ナムアミダブツ」と称える聞こえるところこそが
わが遺跡である
、とお示し下さったのです。

逆に言えば、どんなに立派な建物であっても、
そこから「ナムアミダブツ」の声が聞こえてこなければ、
法然上人のご遺跡とはいえない、ということでもあります。

「念仏の声するところ、皆、我が遺跡なり」

私はこの法然上人のお言葉を、
法然上人からの、励ましのお言葉として受け止め、
心の支えとして、日々勤めさせていただいております。

浄蓮寺の本堂は、今、取り壊されてしまいましたが、
それでも「ナムアミダブツ」の声は絶やさぬように、

そして、新本堂が無事完成してからも、
益々お念仏の声が高まるように、
これからも精進してまいりたいと思います。

それでは今日はこのへんで、

明日が皆さんにとって良き一日となりますように
(^^)/~~~

合掌