南無阿弥陀佛
みなさんこんにちは(^O^)
今日の鋸南町勝山は、
朝から冷たい雨☂☂☂
時々雨あしが弱くなることはありましたが、
一日中ずっと降り続けました。
加えて、昨日から気温が急に下がり、
慌ててトレーナーと
冬物の作務衣を引っ張り出しました💦
急に秋から冬になってしまった感じです❄
一方で、台風の進路予想が
昨日までと比べて、
だいぶ南にずれてくれましたε-(´∀`*)ホッ
どうやら直撃はまぬがれそうですが、
雨は明日も降り続くようなので油断できません😱
被害が無いことを只々祈るばかりです🙏
さて、今日は
「人間として生を受けるということ」
について書いてみたいと思います😄
「人間から人間が生まれるなんて、
当たり前のことじゃないか⁈」
そう思う方もいるかもしれませんが、
佛教の教えでは、
決して「当たり前」のことではないのです。
佛教では、私達は
「六道を輪廻している」
と説かれていることは
以前から書いている通りです。
「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」
の六つの世界(=六道)を
生まれては死に、生まれては死に……
彷徨い続けている(=輪廻)している、と説かれています。
では、六つの世界がある中で、
人間としてこの世に生を受けるということが
どれ程難しいことなのか?
「6つの世界があるから1/6の確率なのか?」
という単純な話ではありません。
浄土宗を開かれた法然上人は、

人間としてこの世に生を受けることの難しさについて
お釈迦様の教えをもとに
「六道を廻るに、人身を得ることは、
梵天より糸を下して、
大海の底なる針の穴を通さんが如し」
と説いておられます。
「梵天」という神様が住むはるか高い上空から、
一本の糸をスルスルとたらして、その糸が、
大海原の底にたった一本落ちている針の穴に
一度でスッと通る、
それ程人間としてこの世に生を受けることは難しい
ということです。
いかがでしょう?
「二階から目薬」どころの話ではありません。
常識で考えたら
絶対に有得ないことではありませんか⁈
そんな、「奇跡中の奇跡」どころではない
普通に考えたら絶対あり得ない、
言葉では言い尽くせない程の
得難い縁に恵まれて、今私たちはこの度、
人間としてこの世に生を受けることができた、
ということなのです。
このような尊い難い縁に恵まれて
人間としてこの世に生を受けることができた私たちです。
この尊いご縁を喜び、
与えられたこの度の一生を
大事に生きてまいりたいですね😊
それでは今日はこのへんで
明日が皆さんにとって良き一日でありますように
(^^)/~~~
合掌